その01:導入、立体的な響きのために

送信日時 : 2004年 6月 15日 火曜日 0:46

浜松バッハ研究会のみなさま

先日の三澤先生のレッスン、お疲れ様でした。
毎度のことながらいろいろなことを言われてしまいました。言われてしまった、というよりは、「お言葉を賜りました」、という方が正しいのかもしれません。しかし長年レッスンを受ける中で、また同じ言葉を言われてしまった、という思いのほうが私には強いです。しかし今回のレッスンの中で三澤先生の「イマジネーションのある人が勝つ」という言葉をある驚きをもって受け止めました。

なぜ驚いたか、というのは私自身が発声を学ぶにあたって一番必要なことは想像力だと思っていたからです。想像してそれに近づこうとする、それこそ上達に通じることだと信じています。ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが私は個人的に1999年の6月から今まで40回に及ぶ発声のレッスンをY.N先生から受けています。このレッスンを通して実感していることなのです。

私がなぜ想像力が大事と思ったかというと、三澤先生のレッスンで先生が求めていらっしゃるものと、早川が普段の練習で言っていることと、Y.N先生がおっしゃることとがそれぞれ言い方は違っても、発声に関して同じことを言っていると感じたところに始まります。ピアノなら耳だけでなく「こう弾くんだよ」と手の動きを先生に見せてもらうことができます。ヴァイオリンもそうです。しかし声楽については「軟口蓋をもっとあげて」と言われても見ることができません。
「のどをできるだけ使わないで」
と言われてもそれがどういったことなのか、のどだけで歌っているいる人(こう書くと自分は違うと言っているみたいだけれど、そうではありません。)には理解できないでしょう。声楽についてはテクニックを「見せて」あげることができないですね。教える側の立場に立ったら恐らく今までいろいろな人からのレッスンを受けてきた中で、一番自分が共感できて、わかってもらえるようにと言葉を選んでレッスンしてくれるのだと思います。
「あくびのように開けて」
「花のいいにおいを嗅いで」
「天井を高くして」
などはよく聞くところでしょう。みんな同じことを言いたいのだと思います。

さらに先日通常練習中に戸島美湖さんが
「目玉を頭上に持っていって、さらに自分の後ろを見る」
というような発言をなさいました。そして先日の三澤先生のレッスンでiの発音を私たちにご指導くださる中で横にひっぱって、さらに 「自分の後ろを見る」
という言い方をなさいました。

受け手の意識の違いでどうとるかは他の人にはわかりませんが、これらも前者の
「あくびのように開けて」
と言い方は違いますが結局は同じことを意味していると私には思われます。

「あくびのように開けて」
という言葉を受けて、実際にあくびをしようとします。でも本当はこれだけでは「足りない」のです。さらにこれはY.N先生の言葉ですが
「頭蓋骨と頭皮の間に空間を作るような感じ」
どうでしょう。イメージはふくらみましたか?

三澤先生が以前
「本人にやる気があれば3ヶ月もあれば発声は変わるもんだ。」
ということをおっしゃいました。それこそ10周年のマタイの前後ではないでしょうか?このことを聴いたのは現在の団員のなかではごく僅かだと思います。そして今回
「9月5日のレッスンの時にどれほど変わっているか、楽しみだ」
というようなことをおっしゃいましたね。「変わる」という言葉に希望を持って、バッハ研の響きを真剣に変えようと思いませんか?ひとりが思っても合唱ですからみんなで思わないと効果はないんです。私たちはいいアドバイスをすでにいろいろと受けています。それを具体的にどうすればいいのか、どう変えていくのか、一人一人の意識を今まで以上に高く持ち、3ヶ月間がんばってみませんか?

通常練習では時間もとれませんから、メールという形で日頃、私が感じていることを交えて何回かお送りしたいと思います。

まず第一回目として息を吸うときのことを書いてみたいと思います。時間があるとき、たとえば曲の始まりだとか、自分のパートが出る前に何小節かあるようなときには鼻から息を吸って頭を広げるような意識をもってみてください。この言葉も新鮮味がない、と思われる方が多いのではないのでしょうか。実際これを常々意識してきた結果、副産物として私は常に鼻の通りがよくなりました。小さい頃からぐずぐずしていたのに信じられないくらい今はいつもすっきり しています。

これをいつもの通常練習のときに、例の口を薄くして息を吸う、という横隔膜を意識する練習のとき以外、心がけてください。だから発声練習のときに具体的に言うともっとみなさんあくびをしてください。私は発声を学ぶときは堂々と先生の前であくびができる、と実感しました。私のことを「よくあくびしている」、と思っている人が何人かいらしても不思議はないほど、わたしはあくびをしています。もちろん時間がないときは口からでないと無理ですからね。鼻から息を吸って目の後ろや鼻のうしろ、空気の入りそうな隙間に空気を入れてください。血管に流れているのは血液ですが、毛細血管のような細い部分にまで空気で満たしてあげるようなイメージです。そして頭蓋骨と頭皮の間に空間を作ってください。変なこと言ってますよ、確かに。

そして次に意識するのはいかに響きをつくるか、ということです。みなさんがそうして作った自分の頭というドームに音を響かせる、というように 感じてください。のどや舌に力を入れない、ということが大事なことです。響きの位置を鼻の上部から眉間のあたりの自分の体から10センチから20センチ離したところに持っていきます。自分の出しやすい音の高さでトライすると良いでしょう。のどや舌に力を入れない、というのが実によくわかりにくい表現だと思うのですが、のどでは音が自由でなくなるし、限界があります。習い始めの頃私の声がなんと平面的で、先生の声はなんと立体的なんだろうと驚いたことがあります。その驚きとともに私の目の前にいらっしゃる先生と私とのとてつもなく遠い距 離を感じました。開眼という言葉がありますが、まさに開耳?とでも申しましょうか。出た瞬間の音がポッ・・とまるで音の泉とでも言うような玉が浮かび上がる感じ。

「押さないで」
という言葉をよく耳にしますね。フォルテって息をたくさん流すことなのかと思って聞いてみたことがあります。そうしたら
「響きを増す、って感じね。」
とおっしゃいました。火の玉、私は見たことがないですが、ぽっ・・と宙に浮いている、自由に浮かんでいる、何にも張り付いていない、自由、それが大きくなったり小さくなったりしている、そんな感じをちょっと想像してみてください。

声が「火の玉」なんてと思い、先には「音の泉というような玉」、と書きました。泉に水が流れて出ているように、その響きには絶えず息が流れているんです。立体的に。

個人的に感じることをみなさんに押し付けるつもりはありません。どうイメージしてもいいと思います。いかにそれを自分のものにするか、です。意識を変えるだけで普段の練習ももっと楽しくなるでしょうし、今までと変わり映えのない言葉であっても、新鮮に自分に結び付けてトライしようと思えるのではないでしょうか。

さて今回はここでおしまいです。長い間お付き合いくださってありがとうございました。トライしてみてよくわからないことは、早川や萩野さんに聞いてみるとよいでしょう。本当に残念なことに自分の声をリアルにどう聞こえているのかは自分ではわからないんですよね。私にもわかることでしたらお答えいたします。私自身、声楽の門を一歩と歩いていないような「ひよこ」ですけれども。ともによりよい響きを探し求めましょう。これは響きを求める旅なのです。

みなさんのご意見ご感想もお待ちしています。