送信日時 : 2004年 8月 30日 月曜日 7:55
浜松バッハ研究会のみなさま
いよいよ今度の日曜日は三澤先生の練習ですね。「発声を変えよう」も今日でおしまいです。何を書こうか少し考えましたが、深くは考えずに決めました。「何が足りないのか」と聞いただけで何の事かわかる方は問題意識が高い?と言えるでしょうか。わかりません。「足りない」とはひとりひとりのことではなく「バッハ研に」です。今回は発声のテクニックのことではありません。「発声を変えよう」というタイトルにふさわしくないかもしれません。言わば「バッハ研を変えよう」かも。
三澤先生の練習でいつも最初に「つまらない」って言われます。一生懸命に歌っていてもきっと先生の耳には面白みがなく音楽とはいえないものなのでしょう。ずーっと昔、三澤先生にご指導いただく中で「音には方向性がある」と教えていただきました。当たり前の事だったのですが、ただ譜面を読んで歌っているだけで満足していた自分にとってはその言葉が魔法のように合唱の楽しさを教えてくれました。先生の音楽はおおらかでのびのびとしていて自由なものを感じさせてくれるように思います。
早川の毎土曜日の練習は楽譜に忠実にうたうことを心掛けているのだと私は思います。忠実に歌うことは生易しい事ではありません。現に三澤先生の練習の時に音取りをさせられるパートもあります。残念な事です。先生はお忙しい中わざわざ浜松までいらしてくださるのだから、先生の練習で音取りをするようなことは恥ずべきことだと私は思います。道がそれましたが、楽譜に忠実にやるのはいいのですが、それだけに音楽性、曲のつくり方についてはあまりふれないのです。忠実にやることに時間をとられてしまうためだと思います。
忠実にやるために1曲歌うにも細切れになる事もあります。歌う方もいろいろ注意されるから、つい縮こまってしまうということもあると思います。そうこうしていると「マタイ受難曲」のどんな場面でどう歌うのか、頭から抜けてしまうのでしょう。でも楽譜に書いてあることを正確に歌う事も大切ですが、音楽的であることも大切です。それがなければ誰が歌っても同じ事になるでしょう。三澤先生のレッスンで最後には最初と違った合唱団のように歌えるのは、音楽の息吹きを吹き込まれるからではないでしょうか。音楽が生きてくるのです。
三澤先生の練習では、三澤先生の想いをわかり易く言葉巧みに教えて下さいます。おもしろかったりするので、つい笑っておわってしまう人もいるかもしれませんが、先生が何を伝えようとしているのかをしっかり把握する事が大事です。自分は忘れない、と自信があるひとを除いて「どんなふうに」といったその言葉も注意されたところに書いておくと良いと思います。そうして先生の音楽を「体感」した者として、先生に言われた事を忘れないで表現しましょう。「今度来た時に忘れていないように」と前回も言われてしまいましたね。言われると「また言われちゃった」と思うのかみんな笑うんですよね。笑ってる場合ちゃうねん。なんだかこんなことを書く事さえ恥ずかしいのですが実際先生に注意された所を気をつけて歌っても、また注意される事はしばしばあるのです。例えば50人が歌っていて25人が注意して歌った時、どう聴こえるでしょうか。聴いている先生には直ったように聴こえるでしょうか? 合唱はみんなで表現するのだから、みんなで注意された所を直すようにしなくては。
「ワークショップのように、みんな色々なものを持ち寄っていろんなことをしてみなさい」とおっしゃったことがあります。きっと先生の目には手ぶらで主張がない私たちに思えたのでしょう。「表現するたのしさ」をひとりひとりが持って、これぞバッハ研という音楽を創っていこうではありませんか。早川の練習の時にそれができないわけではありません。彼自身それが究極の目的だと思っているはず。細かい注意もその第一歩だと思います。
危機感をもったことがありますか。三澤先生の忙しさがさらに増してリストラされる・・・・・・・。やっていてつまらないところほど危ない。(私は名古屋の事はリストラとは解釈していません、念のため。) 浜松がうなぎの名産地でよかった。三澤先生はうなぎが大好きです。なんてことは余分かもしれませんが(決して余分ではなかったりして)今を感謝して明日のバッハ研を築いていきましょう。
あとがき
たったの3ヶ月ではありましたが、お読み下さった皆様どうもありがとうございました。まだまだひよっこの私が非常に生意気な事を書かせていただきました。できないことばかりが目立つ事もあるでしょう。でも私自身はまだ諦めていません。演奏が終わり舞台の上で思う事は「感謝」です。聴いてくださったみなさん。三澤先生。オーケストラのみなさん。チケット販売に協力して下さった方々。プログラムに広告を載せて下さった方々。当日の手伝いをして下さる方々。色々な方々のお世話になって演奏会ができるんだな、と舞台の上で思います。そしてなにより感謝したいことは、共に演奏会に向け努力して、歌った感動を分かち合う合唱の仲間がいるということ。なんと心強い事でしょうか。共に諦めず、より良い響きを探し求めましょう。